三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

「ポセイドン」を弁護してみる。

先週の日曜日、夫に半日のお休みをもらい(子供を預かってもらって)、有楽町マリオンに観に行きました。

劇場で映画を観るのは、本当に久しぶりなので、嬉しくてしょうがありませんでした(笑)。

さて何を観ようかな・・、邦画にはあんまり興味ないし、「ダビンチ・コード」は混んでるし・・、とマリオンをぐるぐるしたところ、「ポセイドン」の看板が眼に入りました。

入ってみたところ、あんなにテレビで宣伝していたのに、結構空席が目立ちました。


ところで今は一般席でも事前に指定してくれるんですね。

おかげでトイレや飲み物の確保が事前に安心して出来ました!

以前は一般席の客は、扉が開くまで、ずらーと行列を作らされたのですよ~。

一人で見るときは、席が他の人に取られやしないかと不安で、上映前にトイレに行けなかったりしたのに。。

便利な世の中になったものだと、しばし隔世の念(笑)。


さてこの新海神さま、ネットでレビューを見る限り、あまり評判が良くないようです。

オリジナルの「ポセイドン・アドベンチャー」がパニック映画の金字塔として、高い評価を得ていたせいもあるでしょう。

確かに映画の出来はあちらの方が上かな?とも思いますが、私は楽しめました。

何せ、とにかく退屈しない。飽きさせない。

映画が始まってすぐに、何の伏線もなく、巨大津波がやってきます。

原作小説は無論、オリジナル映画でもかなり入念に伏線が張られていたのですが、

「こむつかしい理屈は不要!この大波を見よ(CGだけどな)!!!」

とばかりに、ものすごいのが!どどどど~んと!


成す術もない自然の驚異に立ち向かう、勇敢な子羊たち。


オリジナル映画で「神を頼るな!」というスコット牧師のスタンスに、宗教関係者から批判の声が上がったのを受けてか、この映画では一切の宗教色を排しています。

オリジナル映画の登場人物は、一切出てきません。

原作の登場人物を投影しているのかな、と思う人もちらほらいますが。。

そして、やたらとかっこいい、ジョシュ・ルーカス!

はっきり言って、主役はカート・ラッセルではない、この男です。

今はしがない賭博師。その前は海兵隊員だった(らしい)という怪しすぎる経歴も、「今はコックだけど以前は大阪で空手道場開いてました」と同じくらい胡散臭くて素敵。

子持ち美女と恋に落ちる。さらに絶体絶命だった子供を助ける(どうやって助けたのかの説明はないけど)。

チームの足を引っ張っているような女性も、決して見捨てない。

とにかくかっこよすぎです。


・・かと思うと序盤にメキシコ系のウェイターを非情に見捨てたりもしますが・・、この辺りは原作のスコット牧師を投影しているのかな・・?


映像も凄い!の一言です。今のCG技術って、ホント、出来ないことは無いんですね。


大画面で見ると、迫力があるの何の。ものすごい臨場感がありました。

ライド・ムービーとパンフレットにあったとおり、この映画は遊園地のアトラクションに乗るような感覚の映画なんです。


オリジナル「ポセイドン・アドベンチャー」のような人間ドラマがない、という批判が多く聞かれますが、製作者は意図的に、そういった人間描写を省いたのだろうと思われます。


人間ドラマがなくても、いいんです、私は。


怖い!凄い!ハラハラドキドキ。ああ~~!!良かった!


と、1時間半を楽しんで、その後はすっきり忘れる(というか余韻を残さない)。


まるで貶しているようですが、誉めてるんです(汗)。


小難しい映画ばかりじゃ息が詰まる。


原作のようにシビアで悲しい話では、やりきれない。

この映画の脱出劇は、原作小説での、マラーの望み(生き残るのは自分達だけであって欲しい、英雄のように扱われたい)を体現しています。

現実的ではありません、でも映画なんですから。

映画は夢なんですから、必ずしも現実を投影しなくてもいいんです。

反対にこんな内容の小説を読んだなら、「うそくさ~!」とすぐに放り投げたでしょうが(笑)。

98分という短さもいいです。

劇場で見るのに適した映画です。

悲惨な落下シーンや、グロテスクな死体が出てきたりしますが、どうせCGです(苦笑)。

私はこの映画、好きですよ。

ただ、生き残ったのが白人様だけなのが、ちょっと気になりました。
そして最初の津波で生き残った人々をミスリードして死なせてしまう船長は、黒人。
原作にもオリジナル映画にも、こんな設定はありませんでした。
もしかして、製作者の中に有色人種嫌いがいる??


ポセイドン ポセイドン
カート・ラッセル (2006/10/06)
ワーナー・ホーム・ビデオ

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ぱんつの恥。いっしょのふかく。

息子が突然、真剣な顔でこう言いました。

息子「お母さんに言っておきたいことがあります」

私「ななな、何??」

息子「もうクマだのイヌだの、漫画みたいな絵の付いてるぱんつを買うのは止めなさい」

私「え~、どして?まさし可愛い絵の付いたの好きだったじゃん」


・・3~4歳の頃の息子は、「カワイイ系」好きが高じて、女の子用のパンツを穿いていたぐらいです。


息子「先週のことです。太一くん(念のため仮名、息子のクラスメイト)が着替えているとき、ひこうきのパンツを穿いているのを、不幸にも皆に目撃されてしまったわけです」


私「(何じゃその大袈裟な物言いは)うん」


息子「・・・・・太一君は、その日から



         ひこぱん!!



       というあだ名を付けられたのです」



私「・・・・?(別にいいじゃん。とりぱんみたいで)」



息子「今日、お母さんが僕に用意してくれたぱんつは、クマでした。

しかも本物の熊じゃなく、プーさんよりもカワイイくまです」


私「うん。(本物の熊の絵をパンツに貼り付けている人はおらんだろ)」


息子「   僕は、とてもとても



         注意深く!!



     女の子のようにラップタオルでお尻を隠して着替えました。



     もう少しでぼくは皆に、




        くまぱん



     と呼ばれるところでした。




    そんなことになったら、いっしょのふかくです」





私「一緒の深く???」


息子よ、正しくは一生の不覚だ!
この程度のことで使うには大袈裟すぎる言葉だぞ!

大体、お前、今日体育があるのは分かっているんだから、パンツぐらい自分で選んで用意しとけ~~!

と、言いつつ、ゆっくりゆっくりと、乏しい語彙から大仰な言葉をひねり出して、真剣に話す息子の顔が、たまらなく面白かったのでした。


今度ねこぱん買っちゃろうか。
けけっ。

「ポセイドン」ポール・ギャリコ

30年ほど前の映画「ポセイドン・アドベンチャー」、そして今公開中のリメイク作「ポセイドン」の原作小説の作者が、「ジェニイ」、「トマシーナ」などの猫小説で知られるポール・ギャリコと知って、ちょっと驚きました。

読了して、登場人物への視線のあまりのクールさ、そして容赦ない現実を描く力技に脱帽しました。
これがあの、優しい小説「トマシーナ」と同じ作者なのかと。
ギャリコは、一体どれほど多くの引き出しを持っているのでしょうか。

長く絶版状態だった本作ですが、リメイク作「ポセイドン」公開に当たって、再販されました。

公開中の映画のほうは、船転覆、脱出作戦!というアイデア以外は、登場人物も展開も、原作と全く別物です。
オリジナル映画のほうが、登場人物も展開も、原作と重なる部分が多いです。
人間ドラマとしてもオリジナルの「ポセイドン・アドベンチャー」のほうが良く出来ていました。

でも、娯楽的要素のある映画と違って、原作は展開も人物描写も、これでもかと言うほど厳しい現実が描かれていて、辛くなりました。


以下、ネタバレになりますが・・。





オリジナル映画でのスコット牧師は、神に「まだ犠牲が足らないのか!」と怒りつつ(この辺り当時物議をかもしたのだそうですね)、熱蒸気を発するバルブに飛びついて、生き残った人々に脱出口を開けてあげてから、力尽きて落ちる・・という感動的なラストでした。
原作での牧師は神に向かって吠える場面は同じですが、そのあと唐突に自ら落下してしまうんです。
逃げる手段が分からず、呆然とする生き残りの仲間達を残し。
しかも脱出の必須アイテム?斧を背中に括りつけたままで(後で皆困ってた)。

「神に頼らず、祈る前に自らが努力しろ」という、わりと弱者に厳しいこの牧師に対する皆の印象も、見事にばらばら。
スコット牧師が神であるかのように敬い慕う、クリスチャンのミス・キンセールのような女性もいれば(後で分かるのですが、彼女には妄想癖もあるようで)、有名人だった牧師(学生時代有名なラグビー選手だった)がこんな船に乗っていることに疑問を感じ、「もしかしてスコット牧師は自分の教区で犯罪を犯しているのかもしれない、ロゴ刑事は彼を監視するために乗船したのかもしれない。牧師は警察から逃げ切るために自殺したのかも」と考える男もいる。
そしてスコット牧師と犬猿の仲のロゴ刑事は、「スコットは実はホモで、その現実から目をそらすために牧師になったんだ。信仰心からなんかじゃない」というのです。

どの人の「スコット説」も結構説得力があり、どれが彼の真実なのか、なぜ彼は飛び降りたのか、明確な答えは出されていません。

スコットに限らず、他の登場人物もほどほどに善良で、ほどほどに疑い深い、清濁併せ持つ人間です。
どの人も映画のような善人ではない。むろん悪人でもない。言ってみるとみんなちょっと悪。
映像がない分、かえって人物描写にリアリティを感じるのです。

そして・・読んでいて最も辛かったのは、弱者、子供に起こる悲劇です。
アメリカ映画では、「子供は死なない」というお約束があり、オリジナルでもリメイクでも、それは踏襲されています。

原作では・・、賢くて結構物知りの10歳の少年ロビンが、母親とちょっと離れたときに、暗闇でパニックを起こした群衆に巻き込まれたのか、行方不明になってしまうのです。
ギャリコは少年の死を描写しません。ただ最後に皆が助け出され船が沈没しても、ロビンは行方不明のままです。。
ロビンの姉スーザンは、暗闇の中弟を探し回っているときに、正気を失った乗組員に強姦されてしまいます。


皆が助け出された後の描写も、酷く現実的です。

彼らは船尾から脱出するのですが、反対側の船首からもかなり乗客が救出されていることを知ったとき、ギャリコは生存者の一人、マラーの心情をこう書きます。

「スコットの指揮の下あれほど苦しみながら登ってくる間ずっと、こう考えていた。
もし自分とこの仲間達が救出されたら、それは自分達の勇気と苦難に対して、我々だけが与えられる褒美だと。
他の乗客が現れるのを見て、彼は苦い敗北感と喪失感を覚えた。そして他の人々の無事を単純に喜べない自分に嫌悪感を覚えた。」


そうでしょう、そうですよね。
それがキレイゴトではない、正直な心情であろうと思うのです。
短く編集してしまいましたが、一見善良な人間の心の襞を、この箇所は見事に描写していました。

同じくマラーは、船内で苦難を共にするうち恋に落ちたショーガール、ノニーと、別々の救助船に乗り(ノニーは英国人、マラーは米国人なので)、ひとまず別れることになるのですが、別れ際のちょっとした彼女の言動に、「お里の違い」を感じてしまい・・、この先自分が彼女に会いに行くことはないだろうな・・、と空ろに感じるシーンも、リアルでした。
ノニーには気の毒だけど、彼の気持ちは分かります。
「スピード」でも「非常時のロマンスは長続きしない」と言ってましたし。
オリジナル映画「ポセイドン・アドベンチャー」では、マラーは別の人物(マーティン)と合体させられていましたね。
もちろん男のクールダウンや別れの予感なんて描かれませんが(苦笑)。

あと・・、ポセイドンが沈没するとき、ロビンの母親が、
「息子がすでに死んでいるように。自分がお腹を痛めた子が、もはや動いていないように、意識がないように、この上あの子が死の苦しみを味わわずにすむように。自分が目にしているのはあの子の埋葬だけであってほしい」
このつらく耐え難い心情を吐露する場面は・・、読んでいてあまりの酷さに涙が滲みました。

愛児の死に様を目の当たりにしていたほうが、諦めがつく分まだマシというもの。
これほど母親にとって辛い子別れがあるでしょうか。

ギャリコは書きます。
「彼女はこの先一生、息子から離れたあの一時のことを後悔し、自分を責めるのだろう」と。


ギャリコの書く「ポセイドン」には、善人もいない、悪人もいない。神もいない。奇跡も起こらない。
あるのは等身大の矮小な人々の、いじましき「あがき」のみ。
しかし、これが厳しい現実なのでしょうか。

これを忠実に映画化したら「ポセイドン・アドベンチャー」は、さぞ悲しい映画になってしまっただろうな・・、と思いました。

この小説には、CGで作られた転覆画面や死体などでは到底表現できないリアルがあります。

見事です。ギャリコ!
ポセイドン 上     ハヤカワ文庫 NV キ 3-2 ポセイドン 上 ハヤカワ文庫 NV キ 3-2
ポール ギャリコ (2006/05)
早川書房

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スタンドアップ

暴力亭主から2人の子供を連れて逃れ、故郷に帰った主人公、ジョージー。

彼女は二人の子供を養うために、男の職場であった鉱山に職を求める。

そこで待っていたのは、女が職場に踏み込んでくることを毛嫌いする鉱山の男達の、酷い嫌がらせや暴行だった。


会社側に訴えても、「嫌なら辞めればいい」と冷たく突き放される。

生活のため、子供達のため、泣かされつつも始めは耐えていたジョージーだったが、男達の魔手が子供にまで伸び、自分にも耐え難い「ある事件」起こる。

とうとう、彼女は会社を訴えるために、ただ一人、立ち上がる。。




差別は、場所を変え、形を変え、そしてその程度は違えども、どんなところにもあると思います。

男女は無論、肌の色、出自、学歴、等等。。

自分と同じ部類の人間だけとつるむのは、気楽です。

そして自分と違う人種は、時に疎ましい。


だから、男の楽園?だった鉱山に、女が踏み込んできたことへの、男達の当惑や、不愉快さは分かります。


しかし、ジョージーたちの受けた嫌がらせは、もはやセクハラなどという生易しいものではありません。

卑猥な言葉やボディタッチは序の口。更衣室に忍び込んでお弁当に大人のおもちゃを入れる。

服に精液を付ける。女性が簡易トイレに入っているときに、トイレを横倒しにして糞尿まみれにする。

わざと危険な場所に追い込んで、レイプしようとする。


多少の映画的誇張はあるのでしょうが、観ていて苦しくなるほど陰湿です。


そんな境遇にあっても、ジョージーたち女性は仕事が必要なのです。

大人しく夫の庇護の下に家で家事をして、何も考えずに安穏に暮らせるような幸福な女なら、鉱山でなぞ働くはずはない。

皆それぞれ事情がある。

幼い子供を育てなければいけなかったり、病気の母親を抱えていたり、家族の生活を担っているのです。

劣悪な環境の下でも、迫害されても、石に噛り付いても彼女達は働かなくてはならない。

ジョージーが初めて得た給料で、子供達に外食をさせ、プレゼントをあげるシーンがあるのですが、彼女の目が母親としての喜びに潤んでいて、こちらもじんわりしました。


家族のために働くことは、本来尊いのです。


ジョージーの受けた嫌がらせは、男女差別、セクハラと言うより、弱者苛めなのでしょう。

女が邪魔というだけで、いくらミソジニーだったとしても、ここまであからさまな嫌がらせはしないでしょう。



良識ある男なら、客観的に自分を見ることが出来る。

たとえ女を疎ましいと思っていても、こんな真似は恥ずかしくて出来ないでしょう。


圧倒的多数のものが、数を頼みに、立場の弱いものを虐げる。苛めを楽しむ。


幼稚な人間の、邪悪な娯楽です。


この映画を観ていると、あまりの男の嫌らしさに辟易しますが、果たして本当にこんな幼稚な人間が、それも大勢いるのかどうか。


あと、この映画が素晴らしいところは、ジョージーとその親友のグローリーの対比。

難病に冒され、命の灯火を細らせていくグローリーは、はじめジョージーの行動に逃げ腰ですが、最後の最後に感動的な決断をしてくれます。

グローリーもジョージーと同じく鉱山で働く女だけれど、彼女は男たちから一目置かれています。

セクハラ発言をさらっと受け流し、時には言い返し、仕事も出来る。誇り高い。

そして子供はないけれど、誠実な夫と温かい家庭を築いている。



それに対して、ジョージーは、こう言っては酷ですが、とにかく男を見る目がない。

高校時代のボーイフレンドはアレだし(この男が全ての元凶なのです)、その後結婚した男は暴力亭主。


男達に卑猥な言葉にはじめは激しく傷ついて、泣く。。


ジョージーは、どうしようもなく追い込まれて、「スタンドアップ」しました。

それは十分に共感するし、感動もしました。

でもそこまで追い込まれるまでに、何か手はなかったのでしょうか?

彼女は耐えて耐えて耐えて、弱い者苛めの好きな連中の毒牙にかかり、ここまでの窮状に陥りました。

耐える前に、何か手はなかったのでしょうか?


親友グローリーの誇り高い生き方を見ていると、そうも考えてしまうのです。

男達に誇りがあれば、つまらぬ嫌がらせはしないだろう。

ジョージーが初めから誇り高くあれば、人を見る目があれば、ここまで追い込まれはしなかっただろう、と。

ジョージー役のシャーリーズ・セロンよりも、グローリー役のフランシス・マクドーマンド(ファーゴの女刑事!)、その夫役のショーン・ビーンが印象に残った映画でした。

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シャーリーズ・セロン (2006/06/02)
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雨よ降れ~!風よ吹け~!

またまた息子ネタです(汗)。

西原理恵子の「毎日かあさん」という漫画を読んでいたら、こんな箇所がありました。

西原さんのお兄さんは大変な悪筆だそうで、自分の子供にこそは同じ恥をかかさないように、小さい頃から習字を習わせたのだそうです。

西原兄「その成果がこれだ」

西原「うわあ、へったくそな字!」


西原兄「出来ない奴は、どうやったって出来ん!」


親に何かのコンプレックスやトラウマがあると、自分の子供には同じ苦労をさせまいと、子供に習い事をさせる人は多いのではないでしょうか?

今、子供に正しい日本語もおぼつかないうちから、英会話を早々と習わせている親御さんにも、実は「英語コンプレックス」がある人が多いのではないか、と私は思っています。。


うちのおポンチ小僧とその親にとって、それは「水泳」です。



私も決して水泳は得意じゃあありませんでした。

クロールで25メートルがやっと。

平泳ぎなどは、どう泳いでも(泳いでるつもりでも)少しも進まず、しかも沈んでいく・・という有り様でした。


そして、夫は・・完全なカナヅチだったらしいです。。


夫は多くを語りませんが、義母が教えてくれました。


「小学生のとき、水泳がある日は、やれお腹が痛いから見学するの、頭が痛いから見学するのと、連絡帳に書いて!と大変だったのよ。」と。。



息子が三歳になったとき、夫は息子をスイミングスクールに入れようと言い出しました。



幼児のスイミングスクールは、ほとんど遊びです。たま~にビート板持ってバタ足するぐらいで、あとはおもちゃでひたすら遊ぶ。。。


一年ちょっと通ったところで、突然そのスイミングスクールは潰れてしまいました。


・・夫の願いも空しく、息子は今、夫の子供時代と同じように、水泳の時間を苦にしているようです。


出来んものは出来ん。


鳶は鷹を生まない。


鳶の子は鳶。




もうすぐ学校のプール開きです。



息子は「雨よ降れえ~!風よ吹け~!」と一人雨乞いしております。


怪しいイタコのようです(汗)。


私「まさしって、ほんとに全然泳げないの?水泳って、十何級かに分けられるんでしょ?将史は一番下の級なの?」


息子、負けん気を起こしたのか


「違うよ!下から2番目の級だよ!一番下の級はぼく受かってるよ!」


・・・後から水泳カードを見てみたら、一番下の級は


「プールサイドを元気に歩いたり体操したり出来る」



・・・・そ、そりゃイボイノシシでも合格するがな。


しかし、このままカナヅチのままで、大人になるのか??



夫と同じ苦難の道を辿るのか?まさしよ!


夏休みに、泳げない子に優しく泳ぎを教えてくれて、しかもレッスン代の安いスイミングスクールでも探してみようか・・な。無いかもしれないけど~。



それでもカエルの子はカエルでしょうか(汗)。。

父をたずねて三百メートル。。

日曜日に、近所の町内会が寄り集まっての、防災訓練がありました。

大人は無論、子供も時間があれば参加してください、という事前のお達しがあったので、夫と息子、私と百合子の4人で、訓練の行われている江戸川橋交差点近くの大通りに足を運びました。

百合子は何といってもまだ三歳になったばかり。家に置いておこうと思ったのですが、百合はお父さん子で、休みの日は父の側を決して離れようとしないのです。。


震度7までが体験できる車や、煙体験などは、大人しく百合子は付いて来てくれました。


でも、救急医療のやり方や、包帯の巻き方などの説明になると、さすがに3歳児は退屈してぐずりはじめました。


「みんなの迷惑になるから、百合子は家に連れて帰るね」と夫に伝え、ベビーカーに百合子を乗せて、私は家路を急ぎました。


百合子は夫と離れたのが悲しかったらしく、「おとうた~ん!おとうた~ん!」と泣いていました。



家に着き、義母にいったん娘を渡してから、ご機嫌を直すために何か冷たいものでも買ってこようと、私は近くのスーパーに出かけました。


帰ると、義母が慌てた様子で、「百合が一人で玄関を開けて出て行っちゃったの。お母さんのところに行かなかった?」と言います。

私はあまり娘を連れてスーパーには行きません。東京のスーパーは通路は狭くて、子連れで買い物しにくいのです。
百合子と一緒のときは、ほとんど八百屋、肉屋などの個人商店で買い物を済ませます。


ですが商店街をざっと見ても、百合子らしき子供はいません。


もしかして・・?と、さっきまでいた防災訓練会場に急ぎました。


家からここまでは、300メートルほど離れていて、しかも大きな横断歩道が2箇所あります。

まさか・・?でも夫に娘が行方不明だというのを知らせなければいけない。

防災訓練会場に着いて、辺りを探しましたが、百合子らしき子どもはいません。


背中を嫌な汗が、つ~っとつたいました。


誘拐、事故、殺害・・怖い言葉がいくつも頭に浮かびました。


人ごみの中に夫と息子の姿を見つけたので、早速非常事態だと伝えました。

夫は家までの道をもう一度点検し、息子は地下鉄の構内を探してくれました。

江戸川橋には、地下鉄有楽町線が走っています。


百合子はここの地下道を良く散歩するのが好きなのです。


しかし、もし地下鉄に乗ってしまったとしたら・・・、また嫌な汗が流れました。


百合子百合子、お前はどこへ行ってしまったの??




すると・・突然おまわりさんが、

「もしかして、お子さんをお探しですが?」と私に話しかけてきました。


「そうです。娘がちょっと目を話した隙に、家から出てしまって」


「駐在所で女の子を保護しているんですが、あの子ではないですか?」



えっ・・・・・・!




果たして、交番に保護されていた女の子は、百合子でした。


おまわりさんに囲まれて、泣きもせず、裸足で(!)、椅子に座っていました(若い巡査さんがあやしてくれていたらしいです)。


おまわりさんの仰るには、つい15分ほど前、防災訓練の会場に何故か裸足で、「おとうたん、おとうたん!」と叫びながら、うろうろしている女の子を見つけたのだそうです。

周りの人たちが、「さっきその子のお母さんが、一緒にいて帰ったはずなんだけど」とも伝えてくれたのだとか。

夫は会場内にいたはずなのですが、何せ人が多かったので、会えなかったらしい・・です。

私の顔を見た百合子は、それでもちょっとはほっとしたような表情を見せましたが、後から来た夫の顔を見たときは、こぼれんばかりの笑顔で、夫に飛びつきました。。


先にも書きましたが、家からここまでは、大きな横断歩道が2箇所あります。

日曜日で、車の通りも少なかったでしょうが、よくぞ轢かれずに、ここまでたどり着いてくれた・・。


赤信号、青信号を教えてはいるものの、果たして一人で正しく渡れたのかどうか。。



それを思うと改めて、血の気が引く思いがします。




それ以前に、百合子ちゃん。



なんでそんなに「おとうたん」が好きなの?

私が末っ子の真理子ばかり構うから?

できるだけお姉ちゃんを可愛がるように心がけているんだけどなあ。。


夜、寝しなに百合子がアイスを欲しがりました。


私「寝る前にアイスなんて食べちゃあ駄目。明日にしようね」



百合子。黙って夫の側に行き


「アイス、あいて♪」

夫「百合ちゃん、アイス食べたいの?いいよ。持っておいで♪」



百合子、夫の膝に座り、めちゃめちゃとアイスを食べはじめました。




夫~~~!育児のいいとこ取りをするんじゃない~~!!


そしてますます百合子はお父さん子になるのでした。。



でも、もう警察沙汰はやめてね♪

「ヴェラ・ドレイク」

息子を出産するときのこと。
陣痛室で七転八倒していると、「まだお産に時間がかかりそうだから」と、助産婦さんが私を残して他の妊婦さんのところへ行ってしまいました。
初めての出産ということもあり、やたらと心細かった・・。

そのとき、ふっと以前読んだ新聞記事を思い出したのです。
イラクがクウェートを侵略していた数ヶ月の間に、多くのクウェートの女性はイラク兵にレイプされ、妊娠していたこと。
湾岸戦争が終わってから、敵兵によって不運にも望まぬ妊娠をしてしまった女性たちは、やっと医師の診察を受けられ、3分の2ほどの女性は堕胎することが出来たこと。
残り3分の1の女性は、・・時既に遅く、出産せざるおえなかったこと・・・。

祝福された妊娠であり子宝であるからこそ、この「いっそ殺してくれ~!」と叫びたくなるような痛みにも耐えられる。

しかし忌まわしい体験をし、その結果である子供を産まねばならぬ女性たちの、苦しみは如何ばかりか。。


「ヴェラ・ドレイク」

1950年のロンドン。

成人した2人の子を持つ主婦、ヴェラは、とにかく優しく明るく人柄が良く、夫との仲も良いという、
非の打ち所のない女性でした。
ですが、彼女にはある秘密がありました。
20年以上も、望まぬ妊娠をしてしまった若く貧しい女性たちに、無償で(!)堕胎施術を請け負っていたのです。

ある事件があって、ヴェラの「裏の仕事」が、明らかにされ、彼女は逮捕されます。
ヴェラは警察に弁明します。

「私は若い女性を助けました」


当時、イギリスでは堕胎は無論、避妊も禁じられていました。


裕福な人々はいい。
子沢山になったところで、飢える心配はないし、それにもし望まぬ妊娠をしても、お金を出せばいくらでも「抜け道」がありました。

しかし貧しい人々は・・、子が一人増えれば「餓死」の危機に直面するのです。
レイプされて妊娠しても・・公的に手を差し伸べてくれる人はいません。

確かに堕胎は、芽生え始めた小さな命を殺すことです。
それが悪いことであると、ヴェラも知っているのです。

終盤・・ヴェラ自身も若い頃、「助けて欲しかった」経験があったことが明らかになるのです。。


彼女は結局有罪とされ、服役することになります。


当時の価値観で善悪を単純に唱えるのなら、なるほど彼女は悪事を働いたことになるのでしょう。

でも果たしてヴェラは悪女か?

私は思うのです。

何かを単純に、あるいは一つの価値観のみで、善悪を分け、裁こうとするのは、一種の思考停止状態ではないのか、と。
信仰を盾に彼女を裁く側の人々、富める人々は、社会的弱者の立場や苦しみなぞ、ついぞ考えたことがないのでしょう。
まして産まされる立場である、女性の苦しみなぞ。

ヴェラは、罪を犯しました。
でも、ヴェラが思いやり深い 優しい女性であることに変わりはありません。

ヴェラは、苦しむ女性たちを、「助けた」のです。

重い映画でしたが、役者達は皆見事な演技でした。
こころにずっしりしたものを残してくれる、名画です。


ヴェラ・ドレイク ヴェラ・ドレイク
イメルダ・スタウントン (2006/02/24)
アミューズソフトエンタテインメント

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