三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

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メロディ12月号

「秘密 season0」 
タジク、が悪人に見えないのです。
何が彼にそういう行動を取らせたのか。
まだ完全には明らかにはなっていませんが。

正しいか間違いかでいえば、間違いに違いありません。
が、理屈ではなく、感覚で分かる。
誰でもその環境にあれば、・・・と。

さて、先月号からまた新たな展開を迎えましたが、どのように決着がつくのでしょうか。

今月のツボ
「これは?」
「はい。補聴器です。所長」
「補聴器?」
「はい。補聴器というのは聴覚障害やお年寄りの聞き取りを補助する補装具で」
「知ってるし。僕はまだいらないし」


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「インターセックス」  帚木 蓬生

「神の手」と評判の若き院長、岸川に請われてサンビーチ病院に転勤した秋野翔子。そこでは性同一障害者への性転換手術や、性染色体の異常で性器が男でも女でもない、“インターセックス”と呼ばれる人たちへの治療が行われていた。「人は男女である前に人間だ」と主張し、患者のために奔走する翔子。やがて彼女は岸川の周辺に奇妙な変死が続くことに気づき…。命の尊厳を問う、医学サスペンス。
(アマゾンの紹介文より)

帚木 蓬生、という作家さんはよく書店で目にしていましたが、一度も読んだことがありませんでした。
そもそもお名前を何と読むのか分からなかったです。
「ははきぎ ほうせい」と読むのですね。
源氏物語のような、変わったお名前だなあと思っていたら、やはり源氏物語にちなんだペンネームなのだそうです。

さて、初めての帚木 蓬生、「インターセックス」
驚異的な記録を出した陸上の女子選手が、染色体上では「男」だったという話を思い出し、手に取りました。
が、これは以前大変評判になった、ピカレスク小説「エンブリオ」の続編でした。
「エンブリオ」は私の親友が激賞していたので文庫を購入していたのですけど、そのまま積読状態になっていました。
「エンブリオ」を先に読むべきだったかな。。

でも「エンブリオ」の主人公、岸川に何の先入観も持っていなかったので、単に超合理主義のクールな医師かと思って読み進めていました。
続編からでも十分楽しめると思います。

終盤にサプライズがあるものの、表題の「インターセックス」の問題と、「エンブリオ」続編としてのミステリー部分にほとんど関連性がありません。
「エンブリオ」完結編とするならインターセックスの話はいらないといった読者の意見も見かけました。

それでも作中で語られるインターセックス・・半陰陽と言われる様々な人たち、その苦悩とそれをいかに克服したかの独白には心を揺さぶられるものがありました。

作中でこれは心に刻んでおきたいと思った文章があるので、ここに記しておきます。
ミステリーの謎ときには関係のない部分です。
おそらく医師である作者が、普段からお考えになっていて、読者に強く訴えたいと思っていることではないかと推測します。

(以下引用)
本当に身体の診察をしなければならない患者は稀だった。おざなりな身体の診察をするよりは、患者の悩みである不眠や手のしびれ、足の冷え、のぼせ、めまいと耳鳴り、倦怠感、頭痛、肩こりに、真剣に耳を傾けたほうがました。そうした患者は、もともと身体疾患として、月経障害や更年期障害、子宮内膜症、子宮筋腫、月経前症候群、卵巣の病気を抱えていることが多い。
逆に言えば、産婦人科の患者を診察していると、彼女たちの置かれた辛い環境が見えてくる。具合が悪いにもかかわらず家事や育児をしなければならず、姑や舅の世話を余儀なくされ、定時に会社に行き、残業もしなければならないのだ。全身倦怠感や足の冷え、不眠、めまい、耳鳴りは、生きづらさの悲鳴といってよかった。
(引用終わり)

若くして末期の子宮癌が見つかり、「娘を小さい時から働かせたせいだ」「早すぎる交際がいけなかったのだ」と自分を責める患者の母親に対して、翔子の独白。
(以下引用)
患者の家族は、どこかに原因を探し出し、それによって自分を責めがちなのも、不幸が生じたあと必ず見られる現象なのだ。
そうした原因探しと自責の念は、人間の遺伝子に組み込まれているのではないかとさえ翔子には思える。
おそらく不意に襲ってきた不幸に対して、人は「どうしてよりによって」と反射的に考え、その解決策として原因探しを英、自分を責めるのだろう。人間の遺伝子に組み込まれた知性がそうさせるのに違いない。
要するに、人間の知性は<偶然>を受け入れられないのだ。すべてに因果関係を求めるこの傾向こそが、ヒトをその他の生物から抜きん出させた原因とさえ言える。
(引用終わり)

終盤の岸川の独白
(引用始め)
医学というのは人々の救済の歴史であった一方で、人々を正常と異常に分けて、片方を一方的に患者に仕立て上げるという残虐の歴史も持っています。いわば自然の摂理、神への反逆が医療の歴史だともいえるのです。(中略)
近代医学が真先に、神の意志を踏みにじる傲慢さを発揮したのは、ジェンダーにおいてなのかもしれません。人間は男と女に峻別されるべきだという非現実的な抽象論を、あたかも神の託宣のようにして、医療の社会に当てはめていったのです。
いきおい、人々もそのように信じ込むようになります。この世は男と女しかいないー。そんな真理に相反する観念が信念となって、人間社会のすみずみの分野まで浸透してしまったのが近代ではなかったかと思います。
先生がいつか言われたように、この世にいるのはまず人間であって、男と女ではないのです。男と女は便宜上の色分けであり、画然と区別されるものではありません。色分けも出来ない中間色の部分があっても何らおかしくないのです。それは人間の肌の色と同じでしょう。ヒトの皮膚の色が、黒と白しか認められないのであれば、僕ら黄色人種は、どちらかに強制的に近づけるため、何度も皮膚をはがされたり、肌を染色したり脱色されなければなりません。
そうした理不尽なことを、医学と医療はインターセックスの人々に強いてきたといえます。
(引用終わり)

性同一障害とインターセックスは全く違うそうです。
性同一障害は脳と入れ物(体)が違う状態。
インターセックスは入れ物である身体が、男と女のどちらでもない状態。

でも本来みんな、どちらでもない、なにものでもないのが本当の姿ではないのでしょうか?

男、女、白、黒、黄色、分類してそこに意味を見出し、差別化することで安心している。
誰でも本来は、多種多様なのではないでしょうか。

そんなことを考えた一冊でした。

インターセックス (集英社文庫)インターセックス (集英社文庫)
(2011/08/19)
帚木 蓬生

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