三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

「女坂」円地文子 その2

「女坂」は実に嫌な話です。娯楽とは程遠く、まるで救いが無い。
倫も、須賀も、由美も、美夜も、地獄のような人生をあがきつつ生きています。
まるで出口の無い迷路を彷徨うかのような逼塞感。耐え難いです。

いかに当時は妾を持つことや妻妾同居が珍しくなかったとはいえ、正妻である倫の苦悩は勿論ですが、妾たちも可哀想過ぎる。
あどけない素人の娘が本人のあずかりしらないところで、親に売られ、一生を家に縛り付けられてしまうとは、あまりに酷過ぎて、読んでいて辛いです。

私がもし、この作品の須賀や倫、由美のような立場にあったら(美夜は自分とかけ離れすぎているので想像できません)、おそらく自ら命を絶っていると思います。
大人になった今でも、心に余裕のあるときでないと読めない本です。

でも、高校生の頃は分からなかったけれど、明治時代は妻妾同居なんてお金と権力のある男なら誰でもやっていたことです。
そして当時もっと苦しい立場に置かれた女性が沢山いたはずです。女性に出来る仕事も少なく、庇護者である男、父か兄か夫か、を失えば、たちまち転落しかねない。社会が手を差し伸べてくれるわけでもない。
野垂れ死にすることもありうるのです。

殊に権力のある男にとって、女は虫けら同然。
倫にしても新たな妻を迎えて追い出さないだけ有難く思え、須賀に対しては屋根のあるところに住まわせ、飢えさせなかっただけ有難く思え、というところなのでしょう。

誰も虫けらの気持ちなんて思いやったりしないのです。
酷い、と思うのは、所詮私が平和な戦後生まれの人間だからなのでしょう。

でも、手当たり次第にあらゆるジャンルの本を読んでいた10代の頃は、主人公が不幸になっていく救いようの無い嫌な話なんて他にもたくさん読んでいたはず。
なのに、高校生の私は何故この本だけ、しかも主人公ではない須賀さんの痛みをリアルに感じ、長く引きずってしまったのか。。

当時の自分はなぜこれほどまでに心にダメージを受けたのか、その感情をうまく言葉に出来なかったけれど、今再読してみて、ようやくその訳がわかる気がしました。

この本を読んだのは、高校へ入学したばかりの春だったのを覚えています。
須賀さんが自分の知らないところで、倫や母親に運命を決められてしまった時期と同じ、15歳。

15歳というのは、それほど子供でしょうか?
現代の15歳は義務教育が終わり、自分の身の丈にあった高校を選んで、新しい環境新しい世界への扉を開く時期です。
中年の今の私から見れば15なんて洟垂れだけれど、当時の私は自分が子供だという意識は無かったように思います。

まして明治時代。たとえ体は子供で初潮がまだなくても、今の15よりも精神的にずっと大人だったはずです。

須賀の母は、娘に白川家に娘を送り出す前に、娘に事情を話し、彼女を人身御供に出さざる負えない事を詫びるべきではなかったのでしょうか。
何も知らぬままに強姦まがいのことをされるよりも、須賀さんの心のダメージも、その後の須賀さんの心の持ちようも違ったのではないかと思うのです。

自分の人生の何もかもを、他の人間に握られて、白川に囚人さながらのように家に閉じ込められ、外の世界を知らずに年老いていく須賀さんは、あまりにも痛ましいです。

中年になった須賀さんは倫に頭を押さえつけられ、白川の寵を美夜に奪われ、心を許せる友でもあった由美に去られて、「いっそ芸者に売ってくれればよかった。旦那がいても、苦労しても、お天道様の元で自分はもっと張りのある人間になっていたのではないか」と嘆き苦しみます。

しかし妾仲間の由美さんは、客観的に見て須賀さんよりも不幸な人です。
家族の愛情にも恵まれず、白川にも須賀さんほどには愛されておらず、30やそこらの年になると息子の嫁美夜に骨抜きにされている白川に棄てられるように、倫の甥に下げ渡されます。

でも由美さんは、作中で「心の襞の浅い人」とあるとおり、ずけずけと物を言い、どうにもならぬことにくよくよと悩まぬ性質のようです。
悪く言えば底の浅い人なのですが、こういう人の方が幸せになりやすいのです。

由美さんは夫に先立たれますが、二人の子に恵まれ、倫の援助を受けつつも、お花の先生をして生計を立てている様子が物語の終盤に出てきます。

倫、須賀、由美、美夜という、この小説の主な4人の女達の中で、結果的に一番幸せになったのはこの由美でしょう。


比べて須賀さんは、もともと懊悩しやすい、繊細な性質の人に思えます。
そういう性質の人を倫が選び、白川が好んだのですが、彼女はたとえ芸者になっていても、あまり幸福にはなれぬ人のような気がします。

須賀さんは大人しく穏やかな人柄で、倫の娘悦子ですら、子供の頃母より彼女に懐いていたほど優しい女性ですが、その反面、嫌いな人間、道雅や美夜には結構辛辣だったりします。
白川は彼女を猫や金魚のような愛玩物と捉えていますが、彼女は決して大人しいだけの人形ではないのです。

今この小説を読むと、須賀さんに歯がゆさを感じるのです。
彼女が30半ばの中年になり、白川が美夜との密会を続けている頃、彼女が白川を難詰してみたい、拗ねた態度を取ってみたいと思うけれど、白川が怖くて出来ない、という箇所があります。

この時もう少し彼女に、一歩を踏み出す勇気があれば。
白川は愛玩動物に手を噛まれたと怒り狂うかもしれない。
あるいは、「海に棄てて」という倫の遺言にショックを受けた白川のこと。
須賀が傷つき、苦しみ、恨んでいた事に、今さらながら気づくかもしれない。
白川はまるで人に対する思いやりのない、自分のことしか考えない人間なのだから。

もし、白川が怒り、須賀を家から追い出すと言うのなら好都合。
堂々と実家である兄の家に身を寄せればいい。
兄の店は須賀さんの犠牲なければ、破産していたのかもしれないのだから。

このころ30半ばをすでに過ぎている須賀さんは、当時の感覚ではすでに人生の折り返し地点をかなり過ぎています。
残りの自分の人生を出来る限り幸せなものにするために、勇気を出してもう一歩踏み出していれば、と思うのです。

明治の女性が現代の女性より、はるかに辛く厳しく、選択肢の少ない生き方をしてきたかは重々承知です。
それでも少ないカードの中から、自分が納得できる、より幸せな人生を掴み取る手を打つべきだと思うのです。
それがうまくいくかどうかは分からないけれど、何も行動しないよりはましです。
我が身の不運を嘆き、鬱々とするだけでは、浮上しようがないのです。

須賀さんは15で家に閉じ込められ、それ以降外の世界をまるで知らないのですから、見識を広めようもなく、視野が狭くなってしまうのはしょうがないのですが。

書生とのことにしても(書生が須賀さんを愛していなかったように、須賀さんも白川の気を引くためにちょっと彼をつついてみただけで、倫の心配するようなことにはなっていないと私は思うのですが)、もう一歩勇気を出して踏み出していれば・・と、どうにも歯がゆく思います。
可哀想な自分に酔いしれているだけで、書生の不実を見抜き、行友に須賀をずっとこの家に置かせようとした倫の懐の深さも分からない。
正妻の倫からすれば、妾の須賀など将来どうなろうと、本心ではこの家から去って欲しかったのに違いないのに。

須賀さんは「陰気な猫」のように感情をあまり表に出さない人だけれども、由美が去り美夜に苦しめられていた時期に、抑えていた感情を爆発させる場面があります。
須賀さんのように懊悩しやすくエネルギーのない人にとって、このときが彼女の人生の転機だったのに。
「もう駄目だ」と絶望したときこそが、逆に自分の人生を切り替えるチャンスだったのに。

そして中盤から登場する息子の嫁美夜。
彼女が須賀や由美のように、白川にいきなり強姦されたというなら、そして須賀のような大人しく従順な女だったなら、「女坂」は一層陰惨な話になっていたのでしょうが、この美夜はファム・ファタールです。

淫蕩な娼婦性のある女で、専制君主白川を骨抜きにし、倫や須賀を苦しめます。

悪い女ではありますが、抑圧された女達の中で、彼女だけが異彩を放っています。

彼女はロクデナシの夫より、その父の方がはるかに好きなのです。
インモラルな関係であっても、「女坂」の人物の中で、彼女と白川だけが相思相愛の中なのです。

白川を操って、由美をお払い箱にし、須賀に嫉妬し、彼女をも白川から遠ざけようと白川を唆します。
たとえインモラルな関係であっても、自分の感情に正直に行動するそのさまは、けっして近寄りたくはないですが、嫌いにはなれないです。

次は、主人公倫について書きます。
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