三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

エミリー 嶽本野ばら

“この残酷な世界に生み落とされたのは、きっと貴方に出逢う為だったのですよね”。
少年と少女の困難で美しい生と性を描いて三島由紀夫賞候補となった表題作はじめ、アートとファッションへの美意識を核に咆哮する三つの愛の物語は、「うっとり読んでいると、破壊力抜群の言葉になぎ倒される」(解説より)。
孤高の乙女魂と、永遠の思春期を抱くすべての人に放つ、珠玉の恋愛小説集。
(アマゾンの紹介文より)

嶽本野ばらさんの本を読むのはこれで三冊目です。

相変わらずの孤高のナルシストぶりが気持ちいいです。

でも、この本、特に表題作の「エミリー」は残酷な作品でした。


学校のような集団生活では、時に周囲と相容れない異質なもの、個性的なものは排除されます。
距離を置いてみれば、陰湿、陰険そのものの苛めも、学校という視野の極端に狭い閉鎖的空間においては、善悪を自らの目で判断することなく、当然のように行われたりします。

主人公の場合ほど酷くはないけれど、私も学校に通っている頃はしばしば目にしてきたことです。

私がもしこの主人公のいる中学校にいたとしたら、絶対「オタクの巣窟」として差別の対象である「デザイン研究会」にしか、居場所が無いだろうし
生徒全員部活に入れと強制されるなんて、ごめんです。
まして歩く集団心理のような体育会系の部活なんて、悪夢だわ

しかし、先日読んだ桜庭一樹の「荒野」の清清しい中学校生活よりも、この陰湿極まりない「エミリー」の中学校のほうに、私はリアルを感じました。
中学なんて嫌いでした。
学校なんて嫌いでした。
教科によっては好きな勉強もあったし、慕っていた先生もいたけれど。
「個性尊重」とか「明るく積極的に」とか記号化された言葉をお題目にしながら、その実多数派に迎合していかないと、そうでなければ個性を出さないようにしていかないと、生きにくくなる場所でした。
そしてそれは外の世界の、陰湿な縮図です。

おばさんになってしまった今何が嬉しいかといえば、もう小学校・中学校に行かなくてすむことです。
(高校・短大は結構楽しかった)

閑話休題。


学校にも家庭にも居場所を失い、「服」という鎧で身を固め、脆い自分を必死で律している主人公エミリーは、あまりに痛々しかったです。

エミリーの恋する同性愛の少年の遭遇した事件も、あまりに辛すぎました。

孤高を貫くことの、何と難しいことか。

ところで、エミリーと彼女の恋したゲイの少年は、何と中学二年と三年。
その二人がラストのほうで、お互いを慰めあうシーンがあります。

中学2年・3年といえば、うちのおポンチ小僧くんと同い年!

いけません。

子供がそんな事しちゃ

おばさんは許しません。

中学生の男の子なんて、永井豪の「ハレンチ学園」でも読んで騒いでおればいいのです。

そういう面で早く大人になるな。

初々しい子供があまりに早熟すぎるのは、おばさんは悲しいよ。

エミリー (集英社文庫)エミリー (集英社文庫)
(2005/05/20)
嶽本 野ばら

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303:そうですね・・・

少し、話は逸れるのですが最近の未成年の事件を思うと
何故そんなに生き急ぐのか?と問いたくなります。
情報過多だから?
家族の中に居ても孤独だから?
そんな理由はどれも後付けのような気がします。

何かを壊したい・・という衝動は成長期には当然なのです。
その刃が自分に向けられるか他人に向かうか。
精神の均衡が崩れるさまを身内の誰も無視しつづけたのが原因な気がします。
気づいてあげる。
人が人として存在するのを許すにはそれしか無いと思います。

なんてエラそうに言ってますがワタシ自身、何もわかってないのかも。。

2010.08.12 16:40 ゴエ #8iCOsRG2 URL[EDIT]
306:思春期の子供

ゴエ様。
深く丁寧なコメントをありがとうございます。

>精神の均衡が崩れるさまを身内の誰も無視しつづけたのが原因な気がします。

そうですね。
最近は「子供の自主性」がやたらと叫ばれますが、子供の自主性を尊重することと、無関心なことは大きく違います。

子供に親の愛情を疑わせないこと、子供の変化、出しているサインを見逃さないこと。
でも決して過干渉にならないこと。

・・を心がけたいと思いつつも、試行錯誤中ですv-356

こんないい加減な親でもv-356おポンチ小僧くんが、どうか真っ直ぐに育ちますように~。

2010.08.13 00:07 明石 #- URL[EDIT]

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