三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

「二十四の瞳」 壺井栄

この小説のあらすじをご存じない方はおそらくいらっしゃらないでしょう。

壺井栄の代表作で、昭和29年には高峰秀子主演で映画化もされていますし、その後何度もテレビなどで映像化されています。

小豆島に赴任してきたハイカラな若い女先生と、12人の子どもたちの心の交流と、その後起こった戦争による悲劇。
元生徒たちの死、悲運、大石先生の家族を襲う苦難。
艱難辛苦を乗り越えて、生き残った元生徒たちと大石先生との再会。

高峰秀子主演の映画は大ヒットし、海外でも高評価を得たようです。

今「二十四の瞳」で検索すると、小説よりも映画のレビューや解説が多くヒットします。

しかし、この小説、私は子どものころ・・おそらく小学生のころ読んだのですが、感動するどころか、なんだかものすごく後味が悪いと感じた記憶があるのです。
大石先生はいいけれど、生き残った生徒たちが好きになれなかったのです。
無論話の細部はすっかり忘れているのですが・・。

先日図書館の児童書のコーナーで本書を見つけたので、ほぼ三十年ぶりに再読してみました。


瀬戸内海べりの一寒村(作中では小豆島という名は出てきません)に赴任してきた若い大石先生。
若くハイカラな女先生に村の人々ははじめ嫌悪感を示すも、生徒の作った落とし穴に落ちて先生が足を怪我をする、という事件がおきたのをきっかけに、徐々に子どもたちとの距離を縮めます。

その後数年おきに話は飛び、母親の死によって学校を辞めさせられ、子どものうちから働かされる子がいたり、家が没落して身売りされる子がいたり、奉公先で肺病を病む子がいたり、5人のうち3人の男子が戦死したり・・といった悲しい出来事が淡々と平易な文章で綴られていきます。

反戦文学に違いないのでしょうが、あまり押し付けがましさを感じないのは、この淡いタッチの文章のおかげかもしれません。

大石先生の慈母のような優しさに、時おり涙がにじみました。


でも・・、12人の子どもたちの描写は、今ひとつだと思うのです。
彼らの個性があまり感じられないのです。
人生の裏街道をいくはめになる松江や富士子、奉公に出されるコトエ、盲目となって復員したソンキは印象に残るけれども、そのほかの子どもたちは誰がどのエピソードの持ち主だったか分からなくなり、しょっちゅう前を確認しました。

そして、みんな大石先生に対しては純真さを見せるのに、仲間であるほかの子どもに対して冷淡過ぎるのです。

母親の死で学校に来ることができなくなり、泣く泣く親戚の家へ連れて行かれることになった松江に対しても、家が没落して夜逃げするはめになった富士子に対しても。

その後親に売られて、どうやら遊女か芸者かの泥水稼業に堕ちているらしい富士子にいたっては、かっては机を並べた仲であるというのに、元同級生たちは富士子をさげすみ、面白おかしく話のネタにする始末。

普通は友達の悲運に胸を痛めるでしょう。
同性なら、なおさら。
荒んだ世相が彼らを変えたと解釈するべきなのでしょうか?
それにしたってあまりにも、あまりにも酷薄に過ぎるではないですか。

彼女たちの境遇に心を痛めるのは、大石先生ただ一人なのです。
まるで放射状の線のように、先生だけが子どもたち一人一人の身を案じ、悲しみをともにし、慈母のように見守るのです。
子どもたち同士の横のつながり、同期の友情はあまりないように見えるのです。


読み返してみて、思い出しました。

物語の終盤で、大家の婦人となっているミサ子。
初めてこの本を読んだとき、私は勝利者然としたこの女が嫌いでたまらなかったのです。

ミサ子は人生の裏街道を歩んでいるかっての女友達を、先生の前で平然と貶します。

戦争で盲目となり、実兄に疎まれながら身を小さくして生きている磯吉にむかって
「死ねばよかったのに」と平然と言い放ちます。

お金持ちの家の子だったミサ子は、頭の出来は良くなかったけれど、奸智に長けていたのか戦争を機にさらに財をなしているようです。
嫌な女です。

旧家の娘で働くすべをまるで持たなかった富士子と、もともとお金持ちのミサ子。
長じてからは、一見対象的な運命をたどるように思える二人です。

が、壺井栄に左翼的傾向やプロレタリア文学の影響があったとすれば、どちらもブルジョアの末路を書いたものと推測することもできるのではないでしょうか。

富士子は実際に零落し、ミサ子は子ども時代の面影のない、醜悪な大人になったのですから。

12人の子どもたちの中で、とりわけ悲惨な運命をたどる富士子、コトエ、松江の三人を除いては、どの子もあまり好きになれません。

大変な時代を生きてきたんだなとは思うけれども、あまり感情移入できないのです。

情けの薄い人間は、私は嫌いです。

でも、慈母のような大石先生に沿って物語を読むと、また風景が違って見えます。
転落していく子どもたちを救うことのできないくやしさ。
変貌していく子どもを叱責できないもどかしさ。
大石先生は、あまりに無力です。
教師の出来ることには限界があるのです。


「二十四の瞳」は、壺井栄のほかの作品と同じく、母性愛を描いた文学だと思いました。

この作品を楽しむなら、大石先生の視点、母の視点から物語を見るべきだったのです。

児童書として名高く、図書館で借りた本にも「教科書で出てくる本」とかいう銀のステッカーが貼ってあったけれども、どちらかというと大人向けじゃないのかなあ。

少なくとも私は、大人になってからのほうが、多角的にこの物語を見ることができました。
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352:大昔、

テレビドラマを観ました。
その当時、思ったのは『こんな時代に生まれなくて良かった』でした。
小説を読んでもそう感じるかは今のところ不明です。

明石さんの記事を拝見して、この物語は当時、大人であった者達へ・・だったのだと確信しました。
時代に翻弄されるのはいつの世も弱い者達です。
教師を代表する大人達がこぞって戦争を鼓舞するか揶揄するかのどちらかで。
どっちにしろ親の庇護を失くした子供達にとっては過酷な状況に変わりありません。
そんな時代でした。

そのまま戦争が終わり、何事も無く時が流れて・・・。
どんなに高度成長しても辿った足跡は消せないのに・・・。

作者は本作品を墓標のように感じていたのではないだろうか。

私達が忘れてはならない一時代の墓標として。

2010.12.08 16:42 ゴエ #8iCOsRG2 URL[EDIT]
354:Re: Re: 大昔、

ゴエ様のコメント、とても素敵です。
ゴエ様の思慮深さ、優しさが伝わってきました。

 私には大昔、子どものころ読んだ本の中に、どうにも釈然としないもの、結末の腑に落ちないもの、世間の評価と自分の感想がかけ離れているもの、後味の悪さが今でも残るものが何冊かあります。

おばさんになってしまった今の私の目には、そうした本はどう映るだろう、と一人遊びのような感覚で、古い本を再読するのに、今はまっています。

古い本の話題だし、一人遊びに過ぎないので(まあ、ブログというもの自体が一人遊びですが~)、目立たないように、この記事もわざと少し前の日付に設定してこっそりアップしておりました。

もとより過疎ブログですから、読んで下さったのは、おそらくゴエ様だけではないかとv-356
あ、でも三日ほど前にどなたかからこの記事に拍手をいただきましたが、もしかしてゴエ様ですか?
ありがとうございます。

仰るとおり、この作品は大人の目線で書いた、大人のための物語だと思います。
大人の担う時代や世相が、いかに子どもたちの運命を狂わせるかを。


> 作者は本作品を墓標のように感じていたのではないだろうか。
>
> 私達が忘れてはならない一時代の墓標として。

本当に、そうですね。

こういう時代があったことを、決して忘れてはならないし、語り継がねばならないのだと思います。

2010.12.09 02:01 明石 #- URL[EDIT]
355:いえいえ。

そんなに持ち上げないでくださいな。(木に登っちゃいます。○タもおだてりゃ・・・自爆e-444
ワタシ、感じたままに書いただけなのです。
そんなふうに感じることが出来たのは
明石さんのお蔭です。

子供の頃に読んだ本が世間様とズレていたせいか明石さんのように大人達とのギャップを感じる間も無くこの年になってしまいました。
いや幾らかは在ったはずなのに、年のせいで良い感じに紗が掛かってるのかも知れません。ラッキー?

子供の感性って残しておきたいですね。
誰に気を遣うでもなく自分に向き合っている。

大昔からテレビ中毒なワタシは今でも『渡る世間は・・・』の高視聴率が納得できません。今期でやっと終わってくれる。
お好きですか?渡鬼。

話が大きく逸れてしまってすみませんv-436

2010.12.09 07:49 ゴエ #8iCOsRG2 URL[EDIT]
356:拍手の件。

何度もお邪魔して、すみません。

今回、拍手出来ました~♪
ので、前回のは別の方ですね^^

前回のかた、流石!お目が高いです。

2010.12.09 07:52 ゴエ #8iCOsRG2 URL[EDIT]
357:渡鬼

実は一度もまともに観たことがありません。
あの大御所脚本家があんまり好きじゃなくてv-356
でもあのドラマ、好きな人がいるんですよね~。
嫁姑とか、ああいう小さな世界のいざこざって、普遍的なテーマなんでしょうか。

観ていないので、悪口もいえませんがv-428


>子供の感性って残しておきたいですね。
> 誰に気を遣うでもなく自分に向き合っている。

そうですね~。
それに、子どものころ読んだ本やテレビって、大人になってから(20代以降)のものよりはるかに記憶に残っているんですよね、何故か。
それだけ観るものすべてが子どもの目には新鮮だったのかなあ、と思います。


拍手、ありがとうございましたv-343








> そんなに持ち上げないでくださいな。(木に登っちゃいます。○タもおだてりゃ・・・自爆e-444
> ワタシ、感じたままに書いただけなのです。
> そんなふうに感じることが出来たのは
> 明石さんのお蔭です。
>
> 子供の頃に読んだ本が世間様とズレていたせいか明石さんのように大人達とのギャップを感じる間も無くこの年になってしまいました。
> いや幾らかは在ったはずなのに、年のせいで良い感じに紗が掛かってるのかも知れません。ラッキー?
>
> 子供の感性って残しておきたいですね。
> 誰に気を遣うでもなく自分に向き合っている。
>
> 大昔からテレビ中毒なワタシは今でも『渡る世間は・・・』の高視聴率が納得できません。今期でやっと終わってくれる。
> お好きですか?渡鬼。
>
> 話が大きく逸れてしまってすみませんv-436

2010.12.10 01:22 明石 #- URL[EDIT]
577:

俺は、映画の「24の瞳」が好きで好きで、今年初めて小説の「24の瞳」を見て、次のような感想を持ちました。

小説の子どもたちは、映画の子供たちに比べて、ほんとらしいとおもいました。人には、ねたみや残酷さなんて当然あるだろうと思いました。それから現実の生活では零落も当然でしょうから。

映画は、余りにも切れすぎると思いました。

それでも、映画の24の瞳が好きです。

2013.09.29 21:42 A0153 #- URL[EDIT]
578:Re: タイトルなし

A0153さん コメントありがとうございます。

映画の方もやはり子どものときに観たはずなのに、あまり記憶に残っていません。
A0153さんのご意見を読ませていただいて、映画もまた観てみたくなりました。

映画で描かれる子どもたちが、原作の現実的でシビアな感じだったら、時代を超えてここまで愛される映画になっただろうか、
あるいは、高峰秀子の「二十四の瞳」がなかったら、原作の「二十四の瞳」はここまで高い評価を得ることができただろうか、と考えてしまいます。

2013.09.30 23:12 明石の上 #- URL[EDIT]

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