三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

「さよなら渓谷」  吉田修一  (へそまがり書評) 

どこまでも不幸になるためだけに、私たちは一緒にいなくちゃいけない……。

きっかけは隣家で起こった幼児殺人事件だった。その偶然が、どこにでもいそうな若夫婦が抱えるとてつもない秘密を暴き出す。取材に訪れた記者が探り当てた、 15年前の"ある事件"。長い歳月を経て、"被害者"と"加害者"を結びつけた残酷すぎる真実とは――。『悪人』を超える純度で、人の心に潜む「業」に迫った長編小説。
(アマゾンの紹介文より)

「悪人」はひとつの事件を多数の人間の主観から描き、読者にこの事件を俯瞰から眺めているような錯覚をさせてくれました。
「悪人」に続いて「週刊新潮」で連載され、去年文庫化された本作。

・・・・・

これは、かなり心にダメージを受けてしまう、辛い作品でした。
読み終えたのが先週の土曜日、その後ずっと、もう4日間ほど、憂鬱な気分から抜け出せずにいます。

(この作品に興味をお持ちで、これから読もうと思っていらっしゃる方はここでどうかお戻りください)




この夫婦の昔の事件とは、学生時代に起こした集団強姦事件です。
この二人はその事件の主犯尾崎と、被害者(かなこ)なのです。


事件そのものより、その後の(かなこ)が受ける残酷で無神経な、世間の「セカンドレイプ」の凄まじさ。

(かなこ)は行く先々で「レイプされた女」と噂され、薄汚いもののように見られて、仕事も結婚もうまくいかず、死ぬほど傷つき、転落していきます。

一方、加害者達は割りとあっさりと許され、あるいは罪を忘れられ、裕福な者はのうのうとコネで就職したり結婚したり、何事もなく人生を謳歌しているという不条理。
(四人の加害者の中でも貧しいものは悲惨な運命をたどっている、これもまた不条理)


(かなこ)があまりに可哀想で、読んでいて辛かったです。

酷い目にあった人の傷口に塩を塗るように、「軽率すぎる」とか「隙があった」とか、上から目線で貶める輩は、現実でもいます。

しかし、隙のない人間なんて、果たしているのでしょうか。
一生を通じて、軽率な行動を一度もとったことのない人間が果たしているのでしょうか。

まして(かなこ)は当時高校生。
子どもです。
愚かなのは当たり前なのです。

この作品では、まるで(かなこ)の方に加害者よりも非があるかのように、無責任な噂が流され、彼女の人生はぼろぼろにされていきます。

しかし、この(かなこ)の受けるセカンドレイプの数々。
かなりオーバーに描いているなという感じも受けます。

この世の半分は女です。
女なら彼女の痛み、苦しみが分かるはずです。
(一部に苦しむ女性を踏みつけ足蹴にすることで、まるで自分が賢く上等の女になったかのように思いこんでいる情け知らずの馬鹿な女もいるかもしれませんが。)

そして男でも、この手の犯罪を毛嫌いする人は意外に多いのです。

もし、私がそういった無責任な噂を耳にしたら、発信源の人間を死ぬほど軽蔑するだろうし、近くに元性犯罪者がいたとしたら、身震いするほどの嫌悪感を持ったと思うのです。

強姦された女性がいかに人生を狂わされるか、ボロボロにされるかを真正面から取り上げているという面では、レイプを蚊に刺された程度に軽~く書く、感覚鈍磨した一部の携帯小説よりもはるかにマシなのですが。


閑話休題。


本作では冒頭の幼児殺人事件にしろ、主人公の尾崎が関わった大学生の集団強姦事件にしろ、現実に起こった事件を連想させます。

しかし、いまひとつ散漫な印象も受けるのです。

尾崎夫婦の「腐れ縁」に、隣家の子殺し事件が必要だったのかどうか。


そして、主人公(かなこ)と尾崎俊介に共感できないのです。

なぜ、自分を寄ってたかって犯した、それも主犯格の男と夫婦同然に生活できるのか。

「加害者なら自分の過去を隠さなくてもいいから」と、別の人物が作中で推測していますが、いくら心身ともにボロボロになっていても、そんな選択はありえないでしょう。

「不幸になるために、私たちは一緒にいなくてはならない」

「幸せになりそうだったから、離れる」

・・・・・??

かなこの考えることが、私には分かりませんでした。

これがもし集団強姦ではなく他の犯罪、たとえば隣家の起こしたような子殺しが縁だったというのならまだしも。

(かなこ)にとって主犯尾崎は、最も一緒にいてはならない人間だと思うのですが。


この作品はセカンドレイプに焦点が絞られていて、集団レイプという凶悪な犯罪そのものがいかに女性の心身を傷つけるか、それがどれほど女性にとっておぞましい行為なのかが、あまり描写されていないのです。

相愛の相手となら、甘美な行為であるはずのセックス。

強姦というおぞましい暴力行為を受けた経験のある女性は、その相愛の相手との行為ですら、苦痛に感じるようになったという話を聞きます。

(かなこ)はなぜ、諸悪の根源である尾崎を受け入れることが出来たのか。

私には彼女が理解できません。


このあたり、やはり男の人の描いた小説だなあ、と失礼ながら思ってしまいます。

「レイプされた女をどう思う」か、のみをを問い、レイプという酷い行為がどれほど女を傷つけ、どん底におとすものであるかが描かれていないのです。


そして、(かなこ)以上に、尾崎俊介がわかりません。
尾崎は学生時代に起こしたこの事件を心底悔い、(かなこ)に罪を償おうと、それまでの仕事や婚約者も捨てて、(かなこ)とともに生活します。

尾崎が単独犯ならば、まだ、多少は分かります。
もしかしたら感情の行き違い、ということもあるでしょうから。

しかし寄ってたかって集団で高校生の女の子を犯すような輩が、尾崎のように相手に心底詫び、悔いるとは、私には到底思えないのです。

集団強姦は卑劣極まりない犯罪です。
善悪の判断の出来るまともな人間のすることではありません。

集団強姦の主犯格の後悔や言い訳など、善人然として語られても、正直気持ちが悪いのです。
嫌悪感が拭えないのです。

私には(かなこ)も、尾崎も、現実感がなく、浮ついて見えます。


でも、平凡な夫婦であるかのように過ごす二人の日常、二人の体温と汗、質感、暑苦しさ、それに反して渓谷の爽やかさの描写は本当に見事で、そこはうまい作家さんだなあ、と感心しました。
登場人物を突き放したような描写も「悪人」と同じで、見事です。

ただ、私はこの作品は好きではありません。


蛇足ですが、強姦などの性犯罪で心身に受ける傷は計り知れません。
体の傷は癒えても、心に受けた傷は長く残るかもしれません。
でも、決して泣き寝入りはしてはいけません。

もし性犯罪に遭われた方がこの本を読んで、警察へ行くのを躊躇して泣き寝入りするようなことがなければいいけど、と心配になりました。
杞憂かもしれませんが・・。

尾崎のように自分のしでかした事を心底悔い、何もかも捨てて贖罪するような人間は、実際にはいないでしょう。

黙っていればかえって弱みを握られ、強請られる例もあるそうです。

被害届を出すことに躊躇しても、必ず、病院には行ってください。
そして、信頼できる誰かに、相談してください。
決して一人で抱え込まないでください。

どうか泣き寝入りはしないでください。
忌まわしい過去に、ピリオドを打つためにも。


(かなこ)は、過去にピリオドを打つことが出来たのでしょうか。


(追記)

この作品の映画が、モスクワ映画祭で賞を取ったそうですね。
ロシアの方々はもしかしてこの話から、トルストイの「復活」を連想したとか??

ネフリュードフは、尾崎ほど悪いことはしていないけれど。

いずれにしても、こんな辛い話のヒロインを演じた女優さんには、頭が下がります。

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398:うぅ・・・

重い作品なのですね・・・。
よくぞ読了されました。
敬服いたします。(ワタシは無理っぽいデス・・・)

理解不能な主人公の心情をちょっと推測してみました。
もしかしたら、
『私がこんなに不幸なのに、この男を幸福にさせてなるものか』的な意思が働いたのでは?
既に自分の人生は半分が闇です。
忘れて新しい人生を歩む道もありますが、かなこは敢えて蛇の道を選びます。
毒を食らわば・・・。
そんなに気丈な女性なのか・・・?
闇の経験が彼女の何かのスイッチを押したのか・・・?

作者は女性の中に潜む底知れぬ魔を表現したかったのでしょうか。

そう思うと、尾崎俊介の浮ついた存在にも合点が行くような。
いや、あくまで推測です。
的外れでごめんなさい・・。

しかして。
明石さんの書評を拝見して、吉田修一作品に興味が沸きました。
果たして、ワタシに読了する日は来るのでしょうか。謎。

2011.03.03 07:45 ゴエ #8iCOsRG2 URL[EDIT]
401:蛇の道

ゴエ様、いつもコメントをありがとうございます。

なるほど~!
さすがゴエ様!

かなこは実際仲良し夫婦であるかのように同居していた尾崎を、陥れるような行動を取るんですよ。
でも尾崎は過去の負い目からか、今では彼女に愛情を持っているのか、何事もなかったかのように生活を続けるという・・。

ネガティブスパイラルですね。。

しかし私ならたとえどん底に落ちても、出来る限り這い上がりたいですよ。限りある人生だもの。
・・相田みつをみたいになっちゃった。

吉田修一は芥川賞作家なんですが、大衆文学も書ける多才な作家です。

この作品もとても読みやすいです。
・・なので嫌だ嫌だこんな話・・と思いつつも目が滑って?2時間足らずで全部読んでしまいましたv-356

吉田修一はやっぱり「悪人」が一番好きです。
あれも決して楽しい話ではないんですが~。

2011.03.04 02:19 明石 #- URL[EDIT]
631:コメント失礼します

初めまして。過去の日記にコメント投稿、失礼します。

私も、吉田修一の作品は全て読んではいませんが、さよなら渓谷だけは、まさにこの記事にお書きになられた通りの理由で、好きになれませんでした。映画も同様です。

そして先日公開された、吉田修一原作の「怒り」を観ましたが、ここにも、被害者の描かれ方にモヤモヤを感じていました。それで、さよなら渓谷に連続しているものがあったのでは、と思うことで、私自身は少し楽になれた気はします。

さよなら渓谷でも、被害者のその後の苦しみはちゃんと書いても、被害者を再び加害者と結びつける作品自体が、セカンド………的だと感じました。映画「怒り」では、被害者に、「怖くても立ち上がれ!」という圧力を感じて、そう簡単に託していいものかと苦しくなりました。原作は読んでいないのですが、読むのが怖いです。

長文失礼しました。でもこの記事に巡りあえてよかったです。私も、「悪人」は大好きです。

2016.10.02 02:39 雲 #- URL[EDIT]

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