三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

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「水やりはいつも深夜だけど」  窪美澄

思い通りにならない毎日、言葉にできない本音。
それでも、一緒に歩んでいく――だって、家族だから。

『ふがいない僕は空を見た』の実力派が、ごく普通の家庭の生々しい現実を強烈にえ
ぐり出した、珠玉の連作集。


セレブママとしてブログを更新しながら周囲の評価に怯える主婦。
仕事が忙しく子育てに参加できず、妻や義理の両親からうとまれる夫。
自分の娘の発達障害を疑い、自己嫌悪に陥る主婦。
出産を経て変貌した妻に違和感を覚え、若い女に傾いてしまう男。
父の再婚により突然やってきた義母に戸惑う、高一女子。

同じ幼稚園に子どもを通わせる家々の、
もがきながらも前を向いて生きる姿を描いた、魂ゆさぶる5つの物語。
(アマゾンの紹介文より)

デビュー作の「ふがいない僕は空を見た」がベストセラーになり、映画化もされたせいで(?)、今でも「ふがいない~」の作者の~と、言われ続けている窪美澄さん。

「ふがいない僕は空を見た」も面白い作品でしたが、性描写の激しさは好みの分かれるところだったと思います。

この「水やりはいつも深夜だけど」は、家族をテーマにした短編集です。性描写はありません。
どなたにも自信を持ってお勧めできます。
今まで読んできた窪美澄作品の中で、私は一番好きです。

5編の短編の中では、「サボテンの咆哮」、「ゲンノショウコ」がお気に入りです。

「サボテンの咆哮」では、息子と共に、一人暮らしをしている老父の元を訪ねる場面がしみじみと良い。
うたた寝している主人公の夢に亡くなった母親が現れ、主人公に語りかけるところ、今思いだすだけでも涙が滲んでしまいます。

(以下引用)
「お父さん、言葉は少ないけれど、お母さん、お父さんの言いたいことはわかるのよ。やさしい言葉をかけられたって、態度がそうじゃなかったら、何だか悲しいじゃない。お父さんはね、やさしい人よ。私がそう思っているんだからいいじゃないの」
(引用終わり)

主人公武博が昔から煙たがっていた無口な老父が、孫の章博に語りかける場面もいいです。
一人で寂しくないの?と祖父に問う孫にたいして、(以下引用)
「(おばあちゃんは)ここにはいないけど、おばあちゃんと暮らした家だからな、ここは。・・・一度なかよくなった家族は離れないほうがいいんだよ。章博だって、お父さんとお母さんとずっといっしょだろ」
「お母さんはお父さんと章博の世話をして、お父さんはお母さんと章博のために、一生懸命働いているんだものなあ・・・。そんなこと、誰にでもできるようで、誰にでもできることじゃないんだ。章博のお父さんはなあ、偉いんだぞ」(引用終わり)

「ゲンノショウコ」も見事な短編。
主人公美幸は娘の発達を気にしています。他の子と比べ、うちの子は少しおかしいのではないか、と。
一人っ子で子育て慣れしない完璧主義のお母さんなのかと思いきや、美幸には障害のある妹、彩がいたことが語られます。
子どものころ美幸と彩は線路に耳をあてる遊びをします。
「遠くに行くんだよ。ずっとずっと遠くに。一緒に行こうね」

この先を書いてしまってはネタばれというか、読んでいない方の興を削いでしまうので書けませんが、「ゲンノショウコ」を読んでいると、雲の中から一条の光がさす広い空のなか、どこまでも伸びていく線路を辿って歩く彩の絵が頭に浮かびます。
そしてまたじんわりと涙ぐんでしまいます。

最後の短編。父の再婚によりやってきた義母に戸惑う高校生を描いた「かそけきサンカヨウ」
5編のなかで一番見事な短編小説だと思います。

しかし、リアルで辛いのです。
良い友達がいる。父は穏やか。新しい継母も優しい。新しい妹は怪獣のようだけど可愛い。
決して不幸な生い立ちではありません。でも読んでいて辛い。
子どもの賢さが、かえって悲しい。

瀧澤美恵子の「ネコババのいる町で」を思い出しました。

「ネコババ~」では主人公が会ったことのない実父に会いに行く場面があります。

「サンカヨウ」の主人公、陽もまた、かすかに古い記憶に残る母に会いに行こうとします。

しかし、実母は彼女に気が付きません。
この実母の描写が、また容赦ない。
再婚していて、子どももいるらしい母。

(以下引用)スーパーマーケットの茶色い紙袋を提げた小さなおばさんのような人が、中に入ってきた。短い髪の毛には、だいぶ、白いものが交じっている。黒い丈の長いワンピースを着て、真夏なのに、黒いタイツをはいていた(引用終わり)
微かに残る母の記憶、変わらない記憶、ともすると美化されがちな記憶を、木端微塵に粉砕するような、現実の残酷さ。

実母が成長した陽に気が付かなかったように、母も年を重ねている。
そして離れて過ごした時間に、娘の陽は存在しない。
離れて暮らした人間は例え肉親でも、もはや同じ空気をまとっていない。

実母は陽の思っていたような女性ではなかった。

高校一年の女の子が受け止めるには、あまりに辛い現実です。

父親が陽の頭をなで、「大人にみたいにならないといけなくしてしまったのかもぼくが」と、つぶやく場面は心に響きます。

陽の周りに悪い人はいません。優しい人達ばかりなのだけれども、それがこの少女の寂しさをリアルに感じさせられます。


全編最後には、雲の中から光が差し込むかのような、救いのある終わりになっています。
能天気なハッピーエンドではないところが、またリアルです。

この5編はそれぞれ独立した短編ですけれど、同じ幼稚園に通っている園児がいる、という共通項があります。
そしてタイトルは全て植物の名前。
花弁が透明に透き通るというサンカヨウ、ぜひ実物を見てみたいです。

水やりはいつも深夜だけど水やりはいつも深夜だけど
(2014/11/14)
窪 美澄

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