三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

「西の魔女が死んだ」へそ曲がり書評

私は東京に住んでいます。ですが生まれは石川県、育ったのは栃木県でした。
両親はというと、岡山県の、電車は2時間に1~2本、それも駅からかなり遠くて、1時間に1~2本のバスを待たねば家に着かない、というものすごい(?)田舎で育ちました。
つまり、私は根っからの田舎ものなんです。

東京育ちのお母さん友達や生粋の江戸っ子の夫と、田舎育ちの私とは、「田舎」の持つイメージに大きな隔たりがあります。

友達は、「空気のきれいなところで生活してみたいね~。」などとこぼし、夫は「いつか田舎に古い農家の一軒家を買って住みたい」などという夢物語をたまにします。

都会人は時たま田舎者を侮蔑することもありますが、同時に、田舎に強い憧れを抱いているのです。

この前読んだ梨木香歩の「西の魔女が死んだ」という本も、都会の学校でいじめにあった主人公が、ものすごい山奥の、優しく穏やかなイギリス人のおばあちゃん(自称魔女)の元で、いちごを摘んでジャムを煮たり、自分だけの土地をもらって花を植えたり、自然と触れ合って、規則正しい生活を取り戻し、立ち直っていく、というお話です。

この本は、新潮文庫の読者アンケートで、第一位だったそうです。
帯には、「涙があふれて止まりません」。。

確かに、よい本です。よい話です。
おばあさんの優しさや包容力、また手摘みのミントやセージでお茶を淹れたり、大きな鍋でジャムを煮たり・・という描写がとても美しくて、ほのぼのとした気分になりました。
おばあさんの残した最後のメッセージも・・、「涙がとまりません」と言うほどではないにせよ、じんわりきました。。

でも、「売れる本」、あるいは「泣ける本」って、どうして人が死ぬ話が多いのでしょう。

そして、「田舎」=善、「都会」=悪、というステレオタイプ図式・・・これは子供向けに児童書によく見られるのですが・・がどうも気になるのです。

この本に出てくる「田舎」には、「田舎」のダークな(?)側面は出てきません。
せいぜい、隣家にやなおじさんがいる、ぐらいです。
主人公もずっと田舎で生活することになっていれば、別の感想を持ったでしょう。。

また、おばあちゃんは、外人なので、古い因習に囚われたり、迷信深かったり、嫁いびりを生きがいにするような人でもありません。
しかも、「魔女」です。

安易な児童文学作品では、よく「田舎」は森や林でタヌキやキツネと戯れるところで、「田舎のおばあちゃん」は、タヌキやキツネと同類の、ほのぼのした存在にされてます(笑)。

「英国人」「魔女」というファンタジックなおばあちゃんの設定が、この作品を成功させたのでしょう。

その2つのキーワードを除くと、この作品は、「都会は悪」「田舎は善」という単純な図式と、「親しい人の死」という、全く平凡な、ありふれた話になっていたかもしれないです。

実際の田舎は、パラダイスではないんですよ。
電車が少ないと、車がなければ外出もままなりません。駅が遠ければ、買い物も不便です。
その買い物にしたって、生活必需品を買う店も限られているんです。
少しの間なら、「自然と触れ合う」などといって、そういう不便さを楽しむことも出来るでしょうが、死ぬまでず~っと、その状態で暮らせるでしょうか?
ずっとそこに暮らしていた人ならともかく(そういう人は逆に、都会を美化する傾向が)、歩いてスーパーへちょちょいとお買い物♪の生活をしていた人に、我慢できるはずがないんです。

私は岩井志麻子の描く、陰気でおどろおどろしい「田舎」のほうが、しっくりきます(笑)。。

「西の魔女が死んだ」は良い本です。
でも筋自体は、安直です。
「魔女のおばあちゃん」のキャラクターが、平凡ではなく、際立っているところが良いのです。
・・・「死」というラストが、何とも惜しいです。
西の魔女が死んだ 西の魔女が死んだ
梨木 香歩 (2001/07)
新潮社

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