三毛犬ジョニーへの伝言

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「ポセイドン」ポール・ギャリコ

30年ほど前の映画「ポセイドン・アドベンチャー」、そして今公開中のリメイク作「ポセイドン」の原作小説の作者が、「ジェニイ」、「トマシーナ」などの猫小説で知られるポール・ギャリコと知って、ちょっと驚きました。

読了して、登場人物への視線のあまりのクールさ、そして容赦ない現実を描く力技に脱帽しました。
これがあの、優しい小説「トマシーナ」と同じ作者なのかと。
ギャリコは、一体どれほど多くの引き出しを持っているのでしょうか。

長く絶版状態だった本作ですが、リメイク作「ポセイドン」公開に当たって、再販されました。

公開中の映画のほうは、船転覆、脱出作戦!というアイデア以外は、登場人物も展開も、原作と全く別物です。
オリジナル映画のほうが、登場人物も展開も、原作と重なる部分が多いです。
人間ドラマとしてもオリジナルの「ポセイドン・アドベンチャー」のほうが良く出来ていました。

でも、娯楽的要素のある映画と違って、原作は展開も人物描写も、これでもかと言うほど厳しい現実が描かれていて、辛くなりました。


以下、ネタバレになりますが・・。





オリジナル映画でのスコット牧師は、神に「まだ犠牲が足らないのか!」と怒りつつ(この辺り当時物議をかもしたのだそうですね)、熱蒸気を発するバルブに飛びついて、生き残った人々に脱出口を開けてあげてから、力尽きて落ちる・・という感動的なラストでした。
原作での牧師は神に向かって吠える場面は同じですが、そのあと唐突に自ら落下してしまうんです。
逃げる手段が分からず、呆然とする生き残りの仲間達を残し。
しかも脱出の必須アイテム?斧を背中に括りつけたままで(後で皆困ってた)。

「神に頼らず、祈る前に自らが努力しろ」という、わりと弱者に厳しいこの牧師に対する皆の印象も、見事にばらばら。
スコット牧師が神であるかのように敬い慕う、クリスチャンのミス・キンセールのような女性もいれば(後で分かるのですが、彼女には妄想癖もあるようで)、有名人だった牧師(学生時代有名なラグビー選手だった)がこんな船に乗っていることに疑問を感じ、「もしかしてスコット牧師は自分の教区で犯罪を犯しているのかもしれない、ロゴ刑事は彼を監視するために乗船したのかもしれない。牧師は警察から逃げ切るために自殺したのかも」と考える男もいる。
そしてスコット牧師と犬猿の仲のロゴ刑事は、「スコットは実はホモで、その現実から目をそらすために牧師になったんだ。信仰心からなんかじゃない」というのです。

どの人の「スコット説」も結構説得力があり、どれが彼の真実なのか、なぜ彼は飛び降りたのか、明確な答えは出されていません。

スコットに限らず、他の登場人物もほどほどに善良で、ほどほどに疑い深い、清濁併せ持つ人間です。
どの人も映画のような善人ではない。むろん悪人でもない。言ってみるとみんなちょっと悪。
映像がない分、かえって人物描写にリアリティを感じるのです。

そして・・読んでいて最も辛かったのは、弱者、子供に起こる悲劇です。
アメリカ映画では、「子供は死なない」というお約束があり、オリジナルでもリメイクでも、それは踏襲されています。

原作では・・、賢くて結構物知りの10歳の少年ロビンが、母親とちょっと離れたときに、暗闇でパニックを起こした群衆に巻き込まれたのか、行方不明になってしまうのです。
ギャリコは少年の死を描写しません。ただ最後に皆が助け出され船が沈没しても、ロビンは行方不明のままです。。
ロビンの姉スーザンは、暗闇の中弟を探し回っているときに、正気を失った乗組員に強姦されてしまいます。


皆が助け出された後の描写も、酷く現実的です。

彼らは船尾から脱出するのですが、反対側の船首からもかなり乗客が救出されていることを知ったとき、ギャリコは生存者の一人、マラーの心情をこう書きます。

「スコットの指揮の下あれほど苦しみながら登ってくる間ずっと、こう考えていた。
もし自分とこの仲間達が救出されたら、それは自分達の勇気と苦難に対して、我々だけが与えられる褒美だと。
他の乗客が現れるのを見て、彼は苦い敗北感と喪失感を覚えた。そして他の人々の無事を単純に喜べない自分に嫌悪感を覚えた。」


そうでしょう、そうですよね。
それがキレイゴトではない、正直な心情であろうと思うのです。
短く編集してしまいましたが、一見善良な人間の心の襞を、この箇所は見事に描写していました。

同じくマラーは、船内で苦難を共にするうち恋に落ちたショーガール、ノニーと、別々の救助船に乗り(ノニーは英国人、マラーは米国人なので)、ひとまず別れることになるのですが、別れ際のちょっとした彼女の言動に、「お里の違い」を感じてしまい・・、この先自分が彼女に会いに行くことはないだろうな・・、と空ろに感じるシーンも、リアルでした。
ノニーには気の毒だけど、彼の気持ちは分かります。
「スピード」でも「非常時のロマンスは長続きしない」と言ってましたし。
オリジナル映画「ポセイドン・アドベンチャー」では、マラーは別の人物(マーティン)と合体させられていましたね。
もちろん男のクールダウンや別れの予感なんて描かれませんが(苦笑)。

あと・・、ポセイドンが沈没するとき、ロビンの母親が、
「息子がすでに死んでいるように。自分がお腹を痛めた子が、もはや動いていないように、意識がないように、この上あの子が死の苦しみを味わわずにすむように。自分が目にしているのはあの子の埋葬だけであってほしい」
このつらく耐え難い心情を吐露する場面は・・、読んでいてあまりの酷さに涙が滲みました。

愛児の死に様を目の当たりにしていたほうが、諦めがつく分まだマシというもの。
これほど母親にとって辛い子別れがあるでしょうか。

ギャリコは書きます。
「彼女はこの先一生、息子から離れたあの一時のことを後悔し、自分を責めるのだろう」と。


ギャリコの書く「ポセイドン」には、善人もいない、悪人もいない。神もいない。奇跡も起こらない。
あるのは等身大の矮小な人々の、いじましき「あがき」のみ。
しかし、これが厳しい現実なのでしょうか。

これを忠実に映画化したら「ポセイドン・アドベンチャー」は、さぞ悲しい映画になってしまっただろうな・・、と思いました。

この小説には、CGで作られた転覆画面や死体などでは到底表現できないリアルがあります。

見事です。ギャリコ!
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ポール ギャリコ (2006/05)
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リメイク版映画の感想はこちらです。
「ポセイドン」
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