三毛犬ジョニーへの伝言

旧「自堕落な蟻」 ブログ名変えました。ジョニーは昔飼っていた可愛いビーグルの名前です。

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お知らせ

しばらくブログをお休みさせていただきます。

8年もの間、ただ無計画に駄文を書き連ねてきましたので、この辺で少し整理して、本や漫画や映画のレビューをここに残し、身辺雑記は別のところに移そうと思っています。

お世話になった方々には、また改めてご挨拶させて頂きますので、よろしくお願い致します

不愉快なコラム

私は毎週、週刊文春と週刊新潮を買っています。この2冊、似て非なるものです。
まず、連載コラムの性質がかなり違う。
文春のコラムは、軽くて面白いものが多いですが、新潮は執筆者の年齢が高く、なかなか重厚です。
・・でも、たまに「老害?」と思うほどの、くだらない内容のコラムもあります(汗)。

さて、今週の新潮。あるコラムを読んで、身体がカッと熱くなるほどの怒りを覚えました。

女性哲学者、池田晶子氏のこんなコラムです。

テレビで放映されていたという、31歳でがんになった青年が、2年後に亡くなるまでのドキュメンタリー番組に触れ、
「何が風変わりかというと、この人、その間の生活や心境の逐一を、ネットで広く報告するのである。
(中略)そもそも私は、個人のあられもない内面を、得体も知れない誰かに向けて吐露したいというその心性が理解できない。気持ちが悪い。・・(中略)そういう個人の大事なことは、他人に報告するより、自分で考えるべきことではなかろうか。・・(中略)死ぬということは、人は本質的にものを考え始める絶好のチャンスなのである。死とは何か。自分とは何か。宇宙があるということはどういうことか。
(中略)私は情けなく思ったけれども、やはりこの世代にはこの世代なりの「共感」を呼んだらしい。他人の生死に立ち会えるという興奮もあったものだろうか。「応援してマース」といった底の浅いネット言葉で、大量の反応が即座に返ってくる。御本人は元気をもらったと喜んでいたが、大事なときに、大事なことを深く徹底的に語り合う友というのを、この世代の人々は欲しないのだろうか。
結局この人は、自分の最期をイベントに仕立てて他人に見てもらうことに、最期の生きがいを見出して死んだわけだ。
(中略)「普通に死ぬ」とはどういうことか、そういうことを黙って一人で考えることの出来ない人類である。パソコンに向かって内省するなど、どだい無理に決まっているのである」

かなり略しましたが、大体こういう内容です。

一読して、私はこの女性哲学者の、人を見下した態度に、うんざりしました。
そりゃあ、この方は哲学者ですから、死に際に、宇宙とは何かを思索なさるのかもしれません。

しかし私も数年前大病をしたとき、ネットで同じ病の方に、相談にのって頂きました。
愚痴も随分漏らしました。。
池田氏は「死とは、宇宙とは、考える機会なのに、もったいない」と思われるのでしょうか。
フツウの人は、そんな深淵で立派なこと、考えてられません。親に先立つことになったらどうしよう。子を残して死ぬことになったらどうしよう。そんなことをオロオロと思うだけです。

また彼女にしてみれば、イマドキの人、の31歳男性の語彙は乏しく、思いを言葉に代える能力に欠けていたかもしれません。
男性は売文業者ではないのです。ネット世代はだめだ、と否定してかかるのは、いかがなものでしょう。

「個人のあられもない感情を、得体の知れない誰かに吐露したいという心性がわからぬ」と、おっしゃいますが、私ども得体の知れない週刊誌の読者は、池田氏のあられもない底意地の悪さを吐露した記事を読んでおります。
一般人は物書きを生業にする人と違って、物を言う場がありません。
ただの人だって、外に向かって主張したいこともあるでしょう。ネットはそのツールです。
一般人はただ沈黙していろとでも?

そして何より、彼女のコラムは、死を前にして、その不安と戦ったこの男性に、しかも既に亡くなっている人に対して、石つぶてを投げているとしか、私には思えません。
内省できない男性を「情けない」とまで、池田氏は言いますが、私にしてみれば、池田氏はあまりにも情がない。

彼女には、ネットの力も、その長所も、ネット世代といわれる人種も、理解の範疇を超えているのでしょう。
でも、分からないからといって、否定しないでください。

こんな嫌な気持ちにさせられるコラム、久しぶりでしたよ。

※追記
このコラムでは男性の素性は伏せてありましたので、一般の方なのかと思っていたのですが、後ほど教えて頂いたところによると、作家でいらっしゃったそうです。
いずれにしても、ご冥福をお祈りいたします(2006・8・4)。

※再び追記
池田晶子氏は、この後しばらくしてお亡くなりになりました。
このコラムを書いた頃は、闘病中だったのですね。
哲学者の池田氏は、この頃ご自分が「普通に死ぬ」とはどういうことか、宇宙とは何かを実際に考えておられたのでしょう。

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